2005.05.27 09:59

tokyo / japan

ディディエ・フィウザ・ファウスティノ
@ 東京藝術大学

志甫和美


於:4月25日(月)東京藝術大学 上野校地 中央棟第一講義室
今日は私の仕事について写真をお見せしながらプレゼンテーションをしたいと思います。私はアーティストではありません。建築家です。したがって美術教育といったものを受けたことは一度もありません。わたしのオフィスの名前はフランス語では”メザキテクテュール”英語で言うとミスアンダーストッドアーキテクトとでもいいましょうか。「まちがった建築」といったところです。


ディディエ・フィウザ・ファウスティノ氏


まず最初におみせする作品は、日本の学生が山口県の秋吉台を舞台につくったアニメーションで、ここにはわたしが普段かんがえていること、すなわち、時間、スケール、知覚、欲望、といったものが含まれているように思います。わたしの作品である”improvisation moment”でも、そのようなことを表現しています。

次にお見せするのは、世界中のどこの国の子供もするようなゲーム、地面に図形を書いて、地上からパラダイスにけんけんをしながら進んでいく遊びの1種ですが、ここには建築的な要素が含まれているように思います。すなわち、ひとつのポイントから他のポイントを認識する、つまり、すべては知覚の問題につながっているということです。

スイスでおこなった”the floating theatre(浮遊する劇場)”という作品のコンセプトとなったID はtool box(工具箱)でした。これはボートに取り外し可能な箱をとりつけておいて、箱をとりはずすと、ボートにつけたライトを使って水上の劇場として使えるというものです。この作品の場合、建築物としての良し悪しよりも、建築に一体何ができるのか、という問題にとりくみました。

次にお見せするサマーハウスは、山合いにつくったティールームで、その下には細長いプールがあります。ティールームに登り、下にあるスイミングプールに滑り台から入れる構造にしてあります。斜面に建てられているため、ティールームからもプールからもすばらしい眺望を見ることができます。
ブラインドビルボードという作品では、テラスのような構造をつくり、入り口から入ってテラスを通り抜け、パブリックスペースである美術館に抜けるような構造をつくりました。そのテラスは美術館に行く前にひといきついて、アルコールなどを飲めるようなちょっとしたスペースになっています。
このテラスは、行ったことが無く、入ったこともない空間に移動する時の感覚を強く感じさせるようにと考えてつくりました。

私にとって建築とは、フィジカルなもの、スピリチュアルなもの、知覚的なものであり、経験をつくりだすものです。同時に社会的なもの、文化的なもの、政治的なものごとを人々に与えるものだという風にも考えています。公的なものであり、同時に私的なものでもある。美しいか美しく無いかということはあまり重要なことではありません。どちらかといえばあいまいな欲望とでもいったらよいでしょうか。例えば2人のためにつくった小さなコミュニケ−ションスペースでは、外のノイジーなものはすべて排除されています。これは”in-between architecture(中間的な建築)”とでもいったらよいでしょうか。

”love me tender”という作品は足が鋭く尖った、金属製の椅子の作品です。この椅子は使う度に、建築を破壊します。この作品は身体と建築のインターフェイス、接点であり、この椅子に座る度に建築について親密感をもつことができるだろうと考えています。

近代美術館のためにつくったのは、非常にフラジャイルな床でした。これは薄いウォーターベッドのようなもので、水の上を歩くような感じがするために、その場所について強く意識せざるをえないのです。一方、この場所の壁はとてもみにくいでっぱりで作られているのですが、実際は非常にソフトで親近感が持てる素材でできています。

昨年パリの近代美術館のためにつくった作品は、大変古い建物の中に置かれることになっており、キュレーターからは、古く歴史的ではあるけれども、これといって特徴のないその場所に、新しくダイナミックなものをつくるようにたのまれていました。
そこでわたしはvortex(渦)のようなものをその場所一杯につくることにしました。サバイバルブランケットという薄い銀色のシート状の、薄いとてもチープな素材を使い、大きな渦巻状の構造物を建物の内部一杯につくりました。この素材はとても薄いために、其れ自身がつねに、びりびりと震えています。

2000年のヴェネチア・ヴィエンナーレのための作品は、実際のプロジェクトではないのですが、政治的な問題提起をした作品です。これは移民の問題を扱ったものですが、この問題は政治的に難しい問題を多く抱えていると考えていました。
この作品では、不法な移民をなくすために、貨物として人間を輸送するボックスを提案しました。最新のテクノロジーを使い、人は、赤ん坊のような姿勢でボックスの中に収まり、貨物として輸送されるのです。わたしはこのようなことが実際に実現することを決して望んではいませんが、もし今後も人々が移民の不法性から目を背け続けるという現在の状況がつづくなら、これは実現してしまう可能性も否定できないのではないかと思います。

アメリカのテキサス州ロズウェルのための作品では、誰もが知っているパズルのワンピースの形で追加や連結が簡単にできる部屋のようなものをつくりました。また”ワンスクエアメーターハウス”というひとりのための家の提案もしましたが、このようなものに対して、私自身は懐疑的に思っています。大切なことは人々の間のリレーションシップ、共生ということなのではないでしょうか。

ポルトガル現代アート協会のための作品では”天国への階段”という作品をつくりました。これはとても大きなアパートの前庭に作られたものですが、そこに住む人々にとって重要なものは何なのか、ということを考えたひとつの結論です。

中国の北京では、贅沢な空間をつくってほしいというクライアントの要請に対して、それは高価な素材を使ったものではなく、安いマテリアルを使用しながら、建物の内部に集合的な空間をもうけることで、ひとつの贅沢さというものを提案しています。また、窓のない、貨物のような建物は、壁が全開式になっていて、内と外が相互に影響し合うようなつくりの建物をつくりました。

”ファイトクラブ”、”ファイトクラブⅡ”というプロジェクトは、サラリーマンが仕事のあと、一汗かくプライベートな空間なのですが、”Ⅱ”の方は可動式にしてあり、公共空間を動きまわるものになっています。


講演風景


今日わたしが常に考えている問題は私達自身がいかにして社会に巻き込まれるか、ということです。
わたしは建築、アートには限界などというものは存在しないと考えています。重要なことは、何をするのか、いかにして解答をひきだすのかということではないでしょうか。そして建築家とアーティストはもっと共に仕事をするべきではないでしょうか。最後にわたしがつねに考えていることを端的にあらわした文章をひいて、このレクチャーを終わりたいと思います。”Only fiction can change the world.” By Samuel Fuller